第一回目はイッテンです。イッテンの色彩論は今でも色彩検定の配色テストに使われるくらい、影響力があります。美術系の学生なら一度は彼の本を手に取ってみたことがあるはず。美術学校でも彼の理論を採用しているところがあったりします。ですが、彼の色彩理論は結構問題だらけで手直ししないと使えないという欠点があります。ここ、きちんと触れられないことが多いように思います。
まずは簡単に彼の色彩理論を整理すると次のようになります。
イッテン色彩論の目的は、「色の生理学的現象によって、色彩の調和に対する客観的な解答を見つける」ことにあります。趣味主観ではない客観的な法則を遵守してこそ「調和」がある、というのが彼の主張です。ここで言われている客観的な調和とは対称性のことです。
では対称性とはなにか。彼は色相環において補色関係(混ぜるとニュートラルグレイになる)にある二色(「ダイアード」)を「均衡」「調和」していると言います。また、色相環のなかで正三角形・二等辺三角形(「トライアド」「スプリット」)、正方形・矩形(「テトラード」)、五角形(「ペンタード」)・・・を形作る配色を、彼は「調和している」と呼びます。これらはすべて色相環の中心に対して対称性を形作る関係にあります。
そうか、この法則で配色すればいいんだなとフツー考えます。ですが、イッテン色彩論を読むと、「色彩構成は調和的でなければならないということはない」とハッキリ書いてあります。たとえば絵画などは、「調和」した色彩ではないがゆえに人々の情動に働きかけるのだ、とまで彼は言います。「調和」とは均衡のこと、対称性のことであり、二人の引く力が拮抗している綱引きのようなもの、運動が止まった状態のことなのですから、これは正しい指摘と言えるでしょう。しかしまた一方で彼は、画家のドラクロワは色相環を用いて配色を考えていた、などと記してもいます。(かなり自信を失っているようにも見えますが、ときに猛烈な勢いで自分の敵を叩いたりするのがイッテンです。)じゃあ「調和」ってなんだったの、というのがイッテン色彩論の問題です。
「調和」の定義のみならず、イッテン「調和」説の基礎となる「色相環」を用いた配色にも問題があります。イッテン色相環の問題点は主に二つ。
1 配色に先立って色相環を作らねばならない。
2 色相環に含まれない色彩を扱えない。
つまり、与えられた画像(あるいはモノの色)に合う色を見つけるとか、ある服に合う色を見つけるとか、そういった実践に対応できません。彼はテキストの終わりのほうで明暗の関係も含んだ「色彩球(色立体)」を持ち出すのですが、それで問題が解決するわけではありません。
また、色相環の核となる最初の原色をどのように決めるのかが、色相環においても色彩球においても示されていません。仮に色相環を絵の具を使って作るとして、メーカーごとに「赤」「青」「黄」の色が違うというのが現実です。色相環とはかくも観念的な存在です。(フォトショップのような画像ソフトであってもここで挙げた問題は残ります。だからこそ、近似的であれ比較的正確な色の再現をするためには、カラープロファイルを指定することが必要とされるのですから。)
また、彼の提案する色彩構成の演習においては色彩の明度を比較することが不可欠なのですが、実のところ、彼は色彩の明度を比較する具体的な術を示していません。
このようにイッテンの理論は問題だらけなのですが、彼の色彩理論には使えるところもあります。上手いこと手直ししたのがアルバースです。なによりアルバース色彩論が有意義なのは、色彩構成を、色の相互作用が我々の感覚にどのように働きかけるかに注目すること(「私たち自身を学ぶ」)に重点を置いて考えたことにあります。観念的で存在し得ない空疎な「調和」ではなく、実際に色に対して身体(感覚)がどのように反応するかを調査するのがアルバースの色彩論であり、個々の色を活かし、組み合わさって初めて現れてくるような色の相互作用こそが配色において重要だというのが、彼の美学です。そもそもこれはイッテンも参照していたシュヴルールが色彩論なるものを模索し始めたときの出発点でもあったのですが。
エリテではイッテンの色彩理論をちょこっと手直しし問題点を解決した上で、アルバースにもちょこっと手を加えて演習課題にしています。実際に演習課題を見てみたいかたはこちら。
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